2011年12月31日土曜日
独立心が旺盛
スウェーデン人は独立独歩、とにかく親にねだる等は最後の手段。幼少時代から自分のことは自分で又、何でも自分で出来ると思っている。小学生が小遣い稼ぎに物を売ったり、家事の手伝いをして小遣いを獲得したりはよくある事。10代になると、週末や10週間ある夏休みにアルバイトを。日本と違い、夏休みは宿題は無し、10週間のうち何週間かはアルバイトを探します。大学生になると学生ローンを借りて自活が始まります。ですから、派手なことは出来ません。新車などは考えられません。もし車を持っていても、それは中古のひどいので学生たちは自転車、バスを利用しての生活です。子供も親をあまり頼らないし、親もあまり子供のことは干渉しません。個人主義の徹底している国といえましょう。
2011年12月26日月曜日
カルチャーショック
65年に主人と日本で会い、翌年66年にお国拝見と言うことでスウェーデンに来て3ヶ月間滞在。まだ観光旅行が許可されていなかったので、大使館と都庁を何度往復したことか、やっと着いたスウェーデンは真夏というのに肌寒く、殆ど別荘で過ごしました。着いた翌日の朝「グッ モーニング」私の部屋の前で50歳のママがビキニ姿で立ってにこにこし、私に「今日は最高に良いお天気だからビキニよ」。勿論ビキニなど持ってなく、持ってないと答えると直ぐに買ってこいとのこと、なんでビキニでなければいけないのか不思議でした。当時のスウェーデンは、全てが整っており生活程度の高さは目を見張ったもの。そこでスウェーデンにないものは太陽だけ。ですから、太陽が出たら皆芝生で甲羅干し。ビキニは何となく裸になった感じで慣れるのに時間がかかりました。また驚いたのは学校の夏休みが10週間、大人は4週間から5週間。日本では土曜日も半日勤務の頃。ですから、子供たちは夏中別荘で母親達とすごし、休暇の終わった父親達はウイークデェイは一人で町で過ごし、金曜日の夜に家族と過ごすために別荘に来ます。どの別荘も手頃な大きさで、そのうえ殆どの家は自分達で作ると聞きこれこそショックでした。
クリスマスイブ
始まります。ここに住み始めて2週間後がクリスマスでした。なにがクリスマスなのか
スウェーデンではどのようにするのか、見当もつかず、毎日家族のクリスマスプレゼント探しに主人と出かけました。その日は、主人の兄と妹と一緒にママへのプレゼント探し。
なんと入ったお店は金物屋、店員が新しく出たテフロンの鍋を説明し、兄弟3人で議論の末、テフロン鍋の大小を購入。クリスマスプレゼントはスカーフとかネックレスの様な物を想像していたので、現実に目覚めさせられました。結局新婚の我々も殆どが家庭用品でした。現在はコンピューターからエステのプレゼントカード迄、色々工夫されそして想像豊かになりました。
2011年12月22日木曜日
2011年12月18日日曜日
もうすぐ クリスマス
子供のいる家庭は、1日から24日まで24個の小さなプレゼントを親が整え、
子供達はそれを毎日一つずつ開けてクリスマスを待ちます。
そして、サンタ宛に欲しいプレゼントのリストを書きます。親は、何とかその子供達の要求を満たすように頑張り、他の家族メンバーも協力して、購入した物は子供にばれない様に、天井裏やガレージに隠しておきます。勿論、大人同士もプレゼントを交換します。日本にいた時には、11月の末ごろからクリスマスの歌がラジオ、テレビで歌われていましたが、ここスウェーデンでは12月の15日を過ぎた頃にやっと、ラジオで1日1曲位かかり、テレビはクリスマスらしきものは、クリスマス料理の番組ぐらいです。今は嵐の前の静けさで、カーテン、テーブルセンターをクリスマス用に取り替えるぐらいで、21日頃からドーとパン焼き、飾りつけ、買い忘れた買い物、教会のクリスマスコンサート、それは日本の新年を迎える年末といえましょう。
2011年12月8日木曜日
スウェーデンに住んで。
スウェーデンに住み43年経ってしまいました。68年の12月の5日にアンカレジ、コペンハーゲン、経由にてヨーテボルグに到着。飛行機内は、作家の川端康成が、ノーベル賞授賞式に出席するので、私以外は全部ジャーナリストで、川端康成氏も機内をいったりきたり、何度となく
サインを頂こうとしましたが、その、勇気はありませんでした。降り立ったヨーテボルグは朝9時近かったのに、まだ朝日があがりかけたところで、‘北欧に来たー‘という感じでした。その上、12時になっても薄暗く、3時半頃には又暗くなってしまいました。来た目的はスウェーデン人と結婚するためでした。21日に市庁舎にて結婚。約5分ぐらいで立会い人2人で、終わって出てくると、何組かが順番を待っていました。ロマンチック ゼロでしたが、43年持ちこたえました。でも、この暗い所でも、クリスマスを待つアドベンツのライトが家、アパートの窓を飾り、それは何ともロマンチックでした。