1966年に始めてスウェーデンを訪れ、帰りは当時で一番安い方法で日本に帰りました。
ヨーテボリ=ストックホルム (汽車) ストックホルム=ヘルシンキ (大型フェリーで一泊)
ヘルシンキ=モスクワ (汽車で一泊) モスクワ3日間ホテルに滞在
モスクワ=ハバロスク (飛行機) ハバロスクでホテルに一泊 、ハバロスク=ナホトカ (汽車で1泊)
ナホトカ=横浜 (ソビエト船で2泊)合計12日間の旅、日本とスウェーデンの距離を感じました。
モスクワに着いた時道路の幅がものすごく広いのにまず驚きました。反対側に渡るのに大変だったのを思い出します。どの店も商品は少なくがらっとして、店に並ぶ商品は、戦後の日本の商品のほうが、ぐっと優れていた様な感じで、共産圏の現実がそこにはありました。モスクワの飛行場まではタクシーで。がたがたの車で、大自然の中を走っても走っても中々車にも遇わず不安になり、何度も「飛行場?」と聞きましたが、「DA (イエス)」 そのうちに飛行場らしき風景にほっと一息。ハバロスクまでの飛行機には大きな籠にトマトを一杯持った人や、そこにはどこかの市場の大移動という感じでした。乗った飛行機は、ちゃんと着いてくれるか不安になる様な飛行機でした。無事ハバロスクに到着。ホテルに着いたら何と日本人がチェコやドイツから結構集まり、一人旅行に終止符。
その数年後に、ソビエトのアエロ フロウト航空がモスクワ経由でヨーロッパ各地に運行を始め助かりました。
この12日間の出来事、本当に凄い体験をされたのですね。
返信削除その当時の日本人が海外渡航をする事も、なかなか難しい時代…ましてや、日本人の女性がたった一人で過ごされた訳ですから、何とも言えぬ不安があった事と思います。
本当に一言では語れない経験ですよね!!