1968年スウェーデンに住み始めた頃、『マラソンのレースから消えてしまった日本人の事知っているか?』 と、よく聞かれました。1912年のストックホルムオリンピックのマラソンのレースで日本人が消えてしまった。まるで アガタ クリスティの小説に出てきそう ”消えた日本人”。そのエピソードとは、その日は異常な暑さでマラソン選手の多くは完走出来なかった。金栗選手もその一人、農家の木陰でジュースを飲んでいた家族に招待され、そのまま居座ってしまった。。。。居合わせた女性に恋をしたとか。。。謎の話は色々。事実は日射病にかかり、農家の人達が手当てをしてくれ目が覚めたら翌日だったので、優勝候補だった彼はがっかりして帰国してしまった。1967年のストックホルムオリンピック55周年の記念祝典に彼を招待して、残りの距離を走ってもらおうということになり、75歳になった彼に12キロを走らせるこはせず、ゴールをさせる事にした。ゴールをした時に 『金栗選手 タイムは54年8ヶ月6日5時間32分20秒3でした~~~‘‘。』 のアナウンスに彼はユーモアたっぷりに 『長い道のりでした。この間に孫が5人出来ました』 と答えた。私のスウェーデン入りが翌年の68年だった為、よく聞かれたのは不思議ではありません。
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