長い冬から開放され待ちに待った夏を、多くのスウェーデン人は別荘で過ごす。彼らは、ペンキを塗ったり、テラスを新しくしたり、屋根の修繕をしたりを殆どの人達は自分達でやってしまう。日本人の家族がある日別荘に招待され、”スウェーデンの別荘とは” 期待をして出かけたら 『なんと2時間歩かされました。』と聞いた事がある。確かにスウェーデン人は良く散歩をする国民です。特に別荘に招待されたら散歩を強いられたり、肌寒くてもボートに誘われたり、ブルーベリーを摘みましょうとかで、非常にアクティブ。素敵な海沿いの家で、ゆっくりとバーべキュウをご馳走になるつもりで行ったら大間違い。まず、何かで体を動かしてそれから食事。スニーカーやウインドーブレイカーは欠かせません。
2012年6月29日金曜日
2012年6月25日月曜日
デコボコ苺
日本だったらジャムやジュースに回されそうな不合格品。毎年夏至祭に欠かすことが出来ないスウェーデンで熟したこの苺。美味しさは抜群、外国人たちも口をそろえて美味しいというこの見た目の悪い苺。日本のようにプレゼントにフルーツを贈る習慣がない為、形には一切拘らない。美味しければよし。これで約450円。
2012年6月22日金曜日
お礼はあとで
友人やお隣から援助を受けても 『昨日はどうもお世話になりました。少しですがどーぞ』 と何かを買ってお礼をは不必要。何時か彼らが援助を必要とした時にお手伝いをすればよい。日本人の学生が『引越しを手伝ってくれと頼んだら、きっぱり断られました。冷たい国民ですね』 と聞いた事がありますが、簡単に引き受けて当日になり 『実は急用が入ってねー』 よりは増し。ここではだめな事はその場でNO.! さっぱりしていてやり易いが、NO!を余り使わない日本人には応えたのでしょう。
2012年6月21日木曜日
市庁舎の塔をお忘れなく
1923年に完成したスウェーデン建築の最も壮麗でバランスのとれた建物。メーラレン湖畔に建つこの市庁舎はどこから見ても宮殿の様。ここには約200人の市議会員、公務員が働いている。
ノーベル賞の受賞祝賀パーティが行われるのはこの市庁舎。ストックホルムの観光コースで人気のトップに挙げられている。市庁舎内の観光が終わったら塔に登ってみましょう。途中までエレベータ--で、そのあとはてくてくと徒歩で。塔からの景色はそれは見事、ストックホルムの概観を一目で見渡せます。お勧めコースです。
2012年6月15日金曜日
ボルグ と ステンマルク
スウェーデンが生んだ世紀のテニス選手ボルグとスキーの神様とまで呼ばれたステンマルク。その二人には共通点が多い。まず、1956年生まれである事。ボルグは子供時代両親が帰宅するまで、家のガレージのドアーに向かって毎日何時間もテニスの練習をした。近所の人達は『まだやってる、、、』と首を傾げたほど。ステンマルクはラップランドに近い処で生まれ、裏の傾斜で毎日スキーの訓練。二人とも静かな性格でアイスマンと呼ばれたボルグ。ステンマルクは北国人特徴の無口。この二人が70年代のスウェーデンの夏と冬を沸き返した。ステンマルクが滑る時には、国会、学校、仕事場が一時停止でテレビにかじり付いたほど。名もない元ユーゴスラビアのスキー(そのメーカーは彼を神様の如く優遇し、ステンマルクのお陰で大メーカーになった)で滑る彼にスキーのメッカ、スイス、イタリア、オーストリーの選手達は田舎者扱いしていたが、その内に頭を下げざるを得なくなった。ステンマルクは
オリンピック 金メダル 2、 銅 1
世界選手権 金メダル 3 銀 1
ワールドカップ 優勝 86回
一方ボルグは15歳でデビスカップに出場し、
18歳で全仏オープンに優勝 その後5回優勝
ウィンブルドンで優勝5連覇
人口9百万のスウェーデンの誇りの二人です。
2012年6月13日水曜日
この先カメラが装置してありますよ。
運転していてよく見るこのサイン。前もって知らせてくれる優しさ。飛ばしている人もこのサインでブレーキをかけ、カメラの前ではゆっくりと走り又飛ばす。何となくこれでは意味がないのではと思うが、カメラを装置してある処は、過去に事故が多く発生した場所や、スピードを出したら危険な場所等で納得ができる。以前日本に住む姉が熱海より東京に運転して帰る途中、何時も隠れている白バイの位置が、”ここだったかしら、もう少し先だったかしら” と同乗者と揉めていた時、例の白バイが現れ、姉は『あら、ここだったの?』に警察官は『そう、ここですよ』と答えたとか。上記のサインを見ると思い出す懐かしいシーンです。
2012年5月29日火曜日
1912年ストックホルムオリンピックで ”消えた日本人”
1968年スウェーデンに住み始めた頃、『マラソンのレースから消えてしまった日本人の事知っているか?』 と、よく聞かれました。1912年のストックホルムオリンピックのマラソンのレースで日本人が消えてしまった。まるで アガタ クリスティの小説に出てきそう ”消えた日本人”。そのエピソードとは、その日は異常な暑さでマラソン選手の多くは完走出来なかった。金栗選手もその一人、農家の木陰でジュースを飲んでいた家族に招待され、そのまま居座ってしまった。。。。居合わせた女性に恋をしたとか。。。謎の話は色々。事実は日射病にかかり、農家の人達が手当てをしてくれ目が覚めたら翌日だったので、優勝候補だった彼はがっかりして帰国してしまった。1967年のストックホルムオリンピック55周年の記念祝典に彼を招待して、残りの距離を走ってもらおうということになり、75歳になった彼に12キロを走らせるこはせず、ゴールをさせる事にした。ゴールをした時に 『金栗選手 タイムは54年8ヶ月6日5時間32分20秒3でした~~~‘‘。』 のアナウンスに彼はユーモアたっぷりに 『長い道のりでした。この間に孫が5人出来ました』 と答えた。私のスウェーデン入りが翌年の68年だった為、よく聞かれたのは不思議ではありません。
2012年5月26日土曜日
スウェーデン人は国旗が大好き
国旗を色々な商品にこれほど使う国があるかどうか。パンツ、鍋つかみ、ビキニ、エプロン等、限がない。スウェーデンのある都市の使節団が東南アジアを訪問した際に、プレゼントとしてスウェーデンの本とスウェーデン国旗の模様のエプロンと鍋つかみをセットにして差し出し、顰蹙を買ったようです。兎に角、ドアーカーペットまで国旗の模様を使う国民であります。
2012年5月19日土曜日
名誉の殺人
移民問題が大きな課題のスウェーデンで、この10年近く騒がれているのがこの名誉の殺人。スウェーデン人的になった娘を家族の恥、又、同国人からのプレッシャーで、殺すことに決定。誰が殺すか?未成年だと刑を免れるので、弟が『俺が殺す』。これが名誉の殺人。写真の女性はクルド人で7歳の時に家族と共にスウェーデンに移民として入ってきた。スウェーデンの大学、スウェーデン人の友達、スウェーデン人のボーイフレンド、クルド人女性の模範的な例の大反対を遣りこなした。彼女は常に家族や親戚からの脅迫に脅えていた。国会に招待され、同じような立場の女性達の権利擁護についてのスピーチをした程。結局父親に射殺されるのだが、彼女の死はスウェーデン中に大きな波紋を残した。
この10年前の事件後この様なケースで何人が殺されているのかは判定が難しい。多くは親が娘を自国に連れて行きそれ以後行方不明等はよくあるケースです。ある国では、もし、14歳の娘が叔父に暴行されたら悪いのは娘で叔父は無実。暴行された娘は汚らわしいので結局家族のメンバーがが殺すそうです。そのような国からの移民に郷に入ったら郷に従えは彼らには通用しないようです。
2012年5月16日水曜日
増えた寿司バー
90年ヨーテボリに始めて寿司バーが誕生してから20年余り、今は数え切れないほど。3軒が50メートル以内にあるところもあり、経営者は95パーセントが中国人。あとはイラン人、トルコ人等でチーズが載っていたりすることもあり、寿司好きの私にとっては無理。スウェーデン人の友人は『スーパー寿司食べた?すごく大きくて満腹になるよ!!。』殆どの寿司バーは、おはぎの様なにぎりに、薄切りのサーモン、薄でのビニールの手袋をして握っていたりで、私はもう結構。但し、千円位で文句は言えませんが安かろう悪かろうです。
ともかく、スウェーデン人の間ではすごい人気。彼らに日本のお寿司を食べさせてあげたいと思うのですが、このお寿司に慣れている彼らは、本式のお寿司は口に合わないかも。残念です。
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