2012年7月29日日曜日

Japaner Japaner Japaner (Japanese Japanese Japanese)



1936年のベルリンオリンピックでの出来事。サッカーで日本はスウェーデンに3-2で勝った。前半を2-0で勝っていたスウェーデンを3-2で逆転勝ち。一方スウェーデンは軽く見ていた日本人の反撃に、当時のアナウンサーがラジオから流した 『日本の為に何としても勝ちたい日本人選手達は、無我夢中で走り、高いジャンプでヘッディング あーJapaner ,japaner,Japaner,至る処Japaner.』 この『日本人、日本人至る処日本人』は76年後の現在では、集団でいる日本人達を揶揄した言葉として良く使われている。

2012年7月24日火曜日

森の王様 ヘラジカ












ヨーロッパで一番大きな動物 ’ヘラジカ”。 スウェーデンのトレードマークに迄使われているヘラジカ。森の中に住んでいるが、突然住宅街等に現れりんごを食べたり、交通の激しい道路にも現れたりする事がある。私もこの田舎に引越ししてから何度か見かけたが、何ともいえない感動がある。秋はヘラジカ狩のシーズンで約25万人の人達が参加し約10万頭のヘラジカが撃たれる。それでもまだその3倍のヘラジカが森に残っている。2011年のヘラジカが原因での交通事故は何と約6000件、4人死亡、43人重傷。300キロから雄は500キロ以上のもあり、ヘラジカとの衝突は被害が大きい。道路沿いには ”ヘラジカに注意” の標識があるが、この標識をドイツ人の観光客がスーべ二ールとして持ち帰るのは有名な話。

2012年7月23日月曜日

増えた物乞い





 EU にブルガリアとルーマニアが入ってから圧倒的に増えた物乞い。殆どはジプシー(ロマ)で家族で出稼ぎにやってくる。彼らの元東欧の国々での生活はそれはひどく同情をせざるをえない。スウェーデンの都市での物乞いは警察が見つけると国に帰していたが、人権擁護関係の機関が反対し現在では適切な処置に戸惑っている。子供の物乞いには施設にいれるが逃走してしまう。この人達にお金をあげているのは若い人達と老人達。あるインタビューを受けた若い女性は自国と比べると10倍の収入があるとか。スウェーデンに入ってくるのはごく一部で殆どは近隣の国々ギリシャ、イタリアに入っている。EUメンバーの国々が抱えるこれからの難問題の一つです。

2012年7月9日月曜日

通信簿は6年生から








今までは通信簿は中学2年生で始めて渡されたが、今年より6年生から通信簿が渡される事になった。スウェーデンの小学生は外部からの束縛はなく、競争心を煽られる事もなく、自由な気分で学校に通う事ができる。毎日の宿題もわずか、夏休みは10週間たっぷり、勿論その間宿題はゼロ。それでも得る事は多い。例えば家族でヨットで3週間を過ごせば学ぶ事は多い。別荘で過ごせば親がペンキを塗っていたり、あちこちを修繕したり又はテラスを作っていたりすれば、手伝わなくとも自然に学ぶ事は実に多い。スウェーデンに住んでスウェーデン人が余りに器用なので驚く事がよくある。学問一辺倒ではなく実用的な人間を造り上げる事に力をいれるスウェーデンの教育です。

2012年6月29日金曜日

別荘にどーぞ









長い冬から開放され待ちに待った夏を、多くのスウェーデン人は別荘で過ごす。彼らは、ペンキを塗ったり、テラスを新しくしたり、屋根の修繕をしたりを殆どの人達は自分達でやってしまう。日本人の家族がある日別荘に招待され、”スウェーデンの別荘とは” 期待をして出かけたら 『なんと2時間歩かされました。』と聞いた事がある。確かにスウェーデン人は良く散歩をする国民です。特に別荘に招待されたら散歩を強いられたり、肌寒くてもボートに誘われたり、ブルーベリーを摘みましょうとかで、非常にアクティブ。素敵な海沿いの家で、ゆっくりとバーべキュウをご馳走になるつもりで行ったら大間違い。まず、何かで体を動かしてそれから食事。スニーカーやウインドーブレイカーは欠かせません。

2012年6月25日月曜日

デコボコ苺




日本だったらジャムやジュースに回されそうな不合格品。毎年夏至祭に欠かすことが出来ないスウェーデンで熟したこの苺。美味しさは抜群、外国人たちも口をそろえて美味しいというこの見た目の悪い苺。日本のようにプレゼントにフルーツを贈る習慣がない為、形には一切拘らない。美味しければよし。これで約450円。

2012年6月22日金曜日

お礼はあとで








友人やお隣から援助を受けても 『昨日はどうもお世話になりました。少しですがどーぞ』 と何かを買ってお礼をは不必要。何時か彼らが援助を必要とした時にお手伝いをすればよい。日本人の学生が『引越しを手伝ってくれと頼んだら、きっぱり断られました。冷たい国民ですね』 と聞いた事がありますが、簡単に引き受けて当日になり 『実は急用が入ってねー』 よりは増し。ここではだめな事はその場でNO.! さっぱりしていてやり易いが、NO!を余り使わない日本人には応えたのでしょう。

2012年6月21日木曜日

市庁舎の塔をお忘れなく








1923年に完成したスウェーデン建築の最も壮麗でバランスのとれた建物。メーラレン湖畔に建つこの市庁舎はどこから見ても宮殿の様。ここには約200人の市議会員、公務員が働いている。
ノーベル賞の受賞祝賀パーティが行われるのはこの市庁舎。ストックホルムの観光コースで人気のトップに挙げられている。市庁舎内の観光が終わったら塔に登ってみましょう。途中までエレベータ--で、そのあとはてくてくと徒歩で。塔からの景色はそれは見事、ストックホルムの概観を一目で見渡せます。お勧めコースです。

2012年6月15日金曜日

ボルグ と ステンマルク










スウェーデンが生んだ世紀のテニス選手ボルグとスキーの神様とまで呼ばれたステンマルク。その二人には共通点が多い。まず、1956年生まれである事。ボルグは子供時代両親が帰宅するまで、家のガレージのドアーに向かって毎日何時間もテニスの練習をした。近所の人達は『まだやってる、、、』と首を傾げたほど。ステンマルクはラップランドに近い処で生まれ、裏の傾斜で毎日スキーの訓練。二人とも静かな性格でアイスマンと呼ばれたボルグ。ステンマルクは北国人特徴の無口。この二人が70年代のスウェーデンの夏と冬を沸き返した。ステンマルクが滑る時には、国会、学校、仕事場が一時停止でテレビにかじり付いたほど。名もない元ユーゴスラビアのスキー(そのメーカーは彼を神様の如く優遇し、ステンマルクのお陰で大メーカーになった)で滑る彼にスキーのメッカ、スイス、イタリア、オーストリーの選手達は田舎者扱いしていたが、その内に頭を下げざるを得なくなった。ステンマルクは
オリンピック     金メダル 2、  銅 1
世界選手権     金メダル 3   銀 1
ワールドカップ   優勝        86回
一方ボルグは15歳でデビスカップに出場し、
18歳で全仏オープンに優勝 その後5回優勝
ウィンブルドンで優勝5連覇
人口9百万のスウェーデンの誇りの二人です。

2012年6月13日水曜日

この先カメラが装置してありますよ。







運転していてよく見るこのサイン。前もって知らせてくれる優しさ。飛ばしている人もこのサインでブレーキをかけ、カメラの前ではゆっくりと走り又飛ばす。何となくこれでは意味がないのではと思うが、カメラを装置してある処は、過去に事故が多く発生した場所や、スピードを出したら危険な場所等で納得ができる。以前日本に住む姉が熱海より東京に運転して帰る途中、何時も隠れている白バイの位置が、”ここだったかしら、もう少し先だったかしら” と同乗者と揉めていた時、例の白バイが現れ、姉は『あら、ここだったの?』に警察官は『そう、ここですよ』と答えたとか。上記のサインを見ると思い出す懐かしいシーンです。