2015年2月14日土曜日

キッコマンの卓上瓶のデザイナー死去








こちらの新聞のニュースで ”キッコマンの卓上瓶のデザイナーが死去” と報道された。日本の食料品は皆無に近かった60年代に手に入った貴重品、キッコマン醤油。何軒かあった中華料理店のテーブルに置かれたあの瓶が、世界的に有名な工業デザイナーの作品とは!
誰もが感じる、注ぎ口がつまることなく、飽きることのないモダンデザイン、そしてスウェーデンのどのスーパーにも置かれている。又、ニューヨークの近代美術館に永久保存されている程。工業デザイナー栄久庵憲司氏は、その他に数々のロゴマーク、大阪万博、成田エクスプレス等を手がけた。このスウェーデンでニュースになったのは以外であり又誇りに思った。

2015年2月7日土曜日

懐かしい里帰りのお土産








1968年の12月に住み着いて1971年の暮れに一歳の息子を連れ始めての里帰り!
お土産は何を?選んだものは日本には無く機能的な日用品。
それらは、バターナイフ(削る様にしてパンに塗る。) 布巾(当時の日本の布巾は小さな手ぬぐいで水の吸収が悪かった。此処のは麻やコットンの厚い生地で吸収力があった。) たわし(見た目にもよし、使いやすかった。)
この3点をセットにして友人、親戚に配ったが皆 ”これ何” キョトンとした表情!しかも半分がっかり!
北欧帰りにはガラス器、素敵なアクセサリー、人形を期待していたかも。値段的には当時は円が安く、”これがそんなに高いの?” と、驚く値段だった。
ところが、次回の里帰りの際、これらの注文が殺到した。









2015年1月31日土曜日

イスラムからキリスト教の牧師に






アナヒタはイスラムのイランから亡命し、2009年に48歳でスウェーデンの神学校を卒業し牧師に。
彼女は18歳で結婚し翌年男児出産。幸せに満ちた日々は僅か10日間。夫は交通事故で亡くなってしまう。イランでは4人の妻を娶る事はあるが、未亡人は最下位のランクで先は真っ暗。ところが、ある日同じ境遇で身体障害の女児を抱えた男性とめぐり合い結婚をしたが、翌日から悪夢の様な生活が始まった。 過酷に苦しみ、3ヵ月後には離婚の申し立てを裁判所に。それに対して夫は離婚を取り下げないと”石打ちの刑になるように計らう”と脅迫。震え上がった彼女は仕方なく元に戻る。
この頃イランの政情が悪化し家族は人身密輸に頼み国外に脱出を図るが、トルコ国境で捕まり刑務所に。その後国連の援助でデンマークに亡命するが夫の暴力は悪化するのみ、”もし、逃げた場合は追いかけ皆殺しにする”と脅迫されるが危険を感じスウェーデンに亡命し最後に辿り着いたのが修道院。そこで彼女は平和を見出し久しぶりに祈る様になるが、アラーでなくイエス キリストに。

2015年1月21日水曜日

彫刻家 シャロット ジレンハンマル








1963年生まれ、95年に31歳の若さで第3都市マルモの芸大教授に任命されるが半年で辞任。
彼女のセンセーショナルな作品は、立ち止まらずにはいられない強烈な何かがある。現在はスウェーデンとニューヨークに住み作品の製作に励んでいる。
毎年近代美術館にて、オノ ヨーコ主催のニューヨークで活躍するミュージシャン、芸術家達を集めてのパーティにも招待されている程。
尚、彼女の父親は元ボルボ社長。
(最後の写真はスウェーデンの英雄、ラオル ヴァレンベリ。第二次世界大戦
で10万人のユダヤ人をハンガリーからスウェーデンに救出したが、ソ連に拉致され未だに不明)(2番目の写真はストックホルムの繁華街に木を逆さにつるしただけ)

2015年1月18日日曜日

アニタ エバーグ












アニタ エクバーグがローマの郊外の自宅で亡くなった、83歳。
今の若い人達には馴染みが無いかも知れませんが、スウェーデン生まれの1960年代のグラマー女優。
1951年にミスユニバースのスウェーデン代表として渡米、ミスにはならなかったが、ハリウッドからの誘いで、モデルや映画に出演。
1960年にイタリアのフェリー二監督の『甘い生活』でマストロヤンニと共演し、一躍花形スターとなった。この映画で彼女がトレビの泉に黒いドレスで入っていくシーンは有名。その後はイタリアに移住して亡くなるまでイタリアで過ごした。晩年は糖尿病がひどくなり、その上経済的にも大分苦しかったようです。
彼女が出演した映画の一部に 『戦争と平和』『甘い生活』『ローマの旗の下に』『ボッカチオ』『インテルビスタ』等。
先日テレビの番組でアメリカの若い人達に ”サミー デビス ジュニアを知っていますか?”ディーン マーティンは?”殆どが首を振ったのには年代の差をつくつ”く感じました。

2015年1月13日火曜日

好きな町 エクショー EKSJÖ


























ストックホルムから約300キロ南西にある人口1万人足らずの小さな町エクショー。最初に訪れた時に歴史が200年戻ったような錯覚を受けた。古い石畳、スウェーデンの昔の映画に出てくるような、木造建築の家が犇めき合って建っている。このエクショーは1300年代に裁判所もどきが実存していたとか。1403年に町が、既に1200年代からの教会を拠点に形成された。現在残っている木造建築は1600~1700年代から。これらの木造建築は文化遺産に定められている。又1602年には学校が設立された歴史的な町で、町全体がミュウジアムです。

2015年1月4日日曜日

同一労働同一賃金







日本人のある大病院に勤務する親類が洩らしたところによると、40年勤めている雑用係りが若い医者より給料が多いとか。又ある大学院卒の男性は、高卒の女房は13年貿易会社に働いているが、給料もボーナスも彼女の方が多い等。此処では一切考えられない。同じ内容の仕事は何年働こうと年功は関係なく同一給料、40年小学校の教師をした友人の最終給料は、32歳の娘(薬品会社)の半分にも及ばない。教師をしていた母親は校長の席が空き応募して、校長職を獲得したが、給料は大分上がったが、仕事と責任が増え、やっぱり普通の教師がよいと、あっさりと校長職を辞退。給料に満足出来ない人は、学校に戻るなり、コースにいくなりして、高賃金の仕事を探す。職能給システムです。

2014年12月25日木曜日

温かい銅像










ストックホルムの王立劇場の側に建つ女性の像は、75歳で2001年に亡くなったスウェーデンを代表する大女優マルガレータ クローク。銅像の場所は、彼女が公演の始まる前に何時もタバコをこの俳優専門出入り口で吸っていた処に。又、彼女の銅像は温かいので有名。 亡くなって1年後に出来上がった像はお腹が湯たんぽ式になっていて、お腹だけが温かく、その他は冷たかった。そこで、寒い時には人々はお腹を触って暖を求めたが、その後身体全体を温めることに決定。220ボルトで50メートルの電線を体全体に配置して現在は彼女の体は37度を保ち、国民に愛された彼女が残した温かみを人々は身に感じることが出来る。

2014年12月18日木曜日

1と月たったの5時間の太陽










スウェーデンの11月は何度も書いたが暗く、憂鬱な毎日。我々は定年で毎年明るい南に逃げるが、若い人達にとっても、きついどんより気候。今年スウェーデン中部のある町では11月中、太陽が出たのはたったの5時間とか!そこで今、学校や会社、工場等では暗さに依る疲労、うつ病対策に光のセラピーが。10月の末にカリフォルニアからお客様が、”何でこんなに暗い時に?”の答えは”一度寒い暗いどんより気候を経験してみたかった”!!

2014年12月9日火曜日

冬はスペインでも冬


暗いスウェーデンから逃げたこのスペインの太陽海岸は日中は暑いぐらいの毎日。面白いのが観光客は出来るだけ太陽を浴びるために軽装、男性が上半身裸で海岸道路を散歩するのはよく見かける光景。ところが現地のスペイン人の服装は冬は冬の服装、平日は朝は日陰は涼しいので、通勤者はコートを着用は当たり前、だが、週末土、日のランチ後の散歩にも暗いカラーで、かんかん照りの太陽の下を冬の服装で、、、。以前ポルトガル領のマデイラ島に1月の初旬に旅行した時にも同じく、島の人々は信仰深いカトリック、黒のスーツやコート。そこに観光客がノースリブに短パン。その上、90年代までは海岸でノーブラが流行った頃、観光客が齎す島の収入は重要、さぞかし、島民にとっては厳しかったのでは。