2016年12月14日水曜日

ルチア祭











12月13日は、キリスト教の聖人ルチアの聖名祝日。
この日は朝から夜まで、家、学校、職場、病院、施設で、ルチアの
行列があり、白い服、頭にローソクを飾りサンタルチアを歌いながら
やってくる。
この時期は1年で一番夜が長く、ルチアが闇の中から現れたと言う伝説からサンタルチアを唄う。

テレビでは、朝早くにその年選ばれた市町村からの実況放送で教会、城、要塞等でのコンサートがあり、学校、仕事に行く前に家族で
サフランのパン(サフランは悪魔を追い出す)を食べながらテレビの
コンサートを聞く。

そして学校では又ルチアの行列が、職場でも同じ、この日は一日中ルチアがあちらこちらに現れる。

ノーベル賞受賞者達は、朝早くに突然部屋にルチアの行列がサンタルチアを歌いながら入ってのに驚かされる❗

この日は何とも1年中で一番コージーな日です。




2016年12月1日木曜日

又燃えたクリスマス山羊










1966年に、始めての巨大な "クリスマス山羊" がGävle市の広場にお目見えした。
高さ13メートル、長さ7メートル、3トンは人々の目を見張ったが、大晦日の除夜の鐘と共に何者かにより火を放たれ燃えてしまった。
それから2016年まで殆ど焼かれるか、破壊されるかで、この50年の間で、最後迄建っていたのは何とたったの12回。
今年も又、配置されてから数時間後には燃えてしまった。
監視がトイレに行った隙に、、、、

このGävle市のクリスマス山羊は世界的に有名で、英国、USAでは
毎年燃えるか燃えないかの賭けがあるとか。

クリスマス山羊とは? 北欧の神話のなかで雷の神Torが2匹の山羊のワゴンを利用した事から始まり、1800年代には大人が山羊に仮装して
クリスマスプレゼントを子供たちに配ったとか、、これが北欧のサンタクロースの始まり?

2016年11月6日日曜日

ローマ教皇 フランシスコ スウェーデンに










マーティン ルターの宗教改革から500年と、カトリックとルター派が50年に亘る対立克服の為の対話を来年に控え、ローマ教皇がスウェーデン南部のルンド市に到着。

この記念すべき式典には、ルター派(プロテスタント)の世界連盟会長始め、世界各国からルター派の教会関係者が出席し、教皇が "イエス キリストが我々がひとつになる事を祈っている" と話し共同で祈りを捧げた。
両者にとり、共同開催は歴史的瞬間であった。

質素な生活を好む教皇の宿は、市外のキリスト教関係の研究所とか。村人達は、教皇が泊まった村として歴史に残るとおおはしゃぎ。

帰途の飛行機の中でも、気軽に記者団に近ずき、スウェーデンの女性記者の質問に答えた。

記者  スウェーデンでは、ルター派の国教最高指導者は女性であり
    カトリック教で女性聖職者が就くことはあり得るか?

教皇  それは永久不変、スウェーデンの女性は非常に強い為、男性
    が外国に女性を求めている様だ。

スウェーデン国民は冗談だろう?帰国されて一週間後未だに冗談と
とる人と、真面目ととる人での討論は当分続きそう。

(3番目の写真は、女性スウェーデン国教最高指導者、アンティェ  ヤケレン)

2016年10月19日水曜日

キャッシュレス社会












バスの運転手が強盗にあったり、銀行強盗が多発、現金輸送車が襲われたりは日常茶飯事であった90年代を経て、スウェーデンはキャッシュレス社会に発展していった。

銀行からBank card readerが各自に渡され、家から株の売買、支払い、家族内での口座振込、全ての支払いが簡単に済ます事ができる。
このシステムは銀行のコスト削減に役立っている。
銀行は現金の入金、支払いはしない。現金が必要な人はキャッシュボックスから、闇商売で稼いだ現金は家で保存となる。銀行に強盗が入ったが、まさか銀行がキャッシュレスとは知らず手ぶらで逃げたとか。

スウェーデンに住んでいると現金を持ち歩く必要がない。
バスに乗るのも、プリカードか携帯のアプリで、コンビニ、スーパー、駐車代は以前は車に小銭を置いてあったが今は、携帯のアプリかカードに、ストックホルムのABBAミュウジアムは入館料、ショップの買い物全てはカード使用のみ❗

高年齢にとっては、社会から置いてきぼりと言う感じだが、我々の友人達、94歳を筆頭に全員がコンピューターを使用している。
勿論出来ない高年齢は銀行にあるコンピューターで行員が指導してくれる。

我が家は1年で3~4ヶ月を外国で過ごしているが、毎月の支払いは自動支払いで、その他はBank card reader(3番目の写真)を必ず持参し、携帯から突然の支払いや振込をしたり、自分の口座を点検したり、カードをどのくらい使ったかを調べることも簡単。

2016年9月20日火曜日

難民に甘いスウェーデンポリシー







スウェーデンの公共のプールを使用する際の順序の規定は厳格。

まず    トイレに行く事

その後     シャワーで体を洗う

最後に   水着を着用


ある日、ムスリンの女性二人が子供をプールに連れて行き、この女性達はヒジャブ(体を覆う黒い布)を着用していた為に、プールの係員に
"プールのエリアは水着でとの規定なので" と注意された事に腹をたて
市に人種差別待遇を受けたとして、一人当り300000クローナ(3百60万円)を請求した。
以前同じ様なケースで、ある市が賠償金約40万円を支払った。
今回のケースは金銭目当てにしか受け取れないが、やはり又市は
一人当り約25万円を支払った。

又、スウェーデンに単身で難民として入ってくる子供達は、パスポートは道中落としたとして年を偽り移民局を手こずらしているが、不思議な事には全員が携帯は落とさず持参。
携帯を調べる事は人権を重んじるスウェーデンでは容易ではない。


2016年8月30日火曜日

かつらは無償で支給







この夏3回の手術後に、いよいよ抗がん剤の投入が始まった。
看護婦から渡された抗がん剤に関する色々なパンフレットに混じり、目に留まったのは、かつら7000クローナ迄(83000円)、眉毛の刺青代1400クローナ(17000円)迄が支給されるとの事。
驚かずを得ないので看護婦に確かめると、
"そうよ、2つ買えるわよ、便利よ2つあると"とか。
指定された店に早速行き注文、そこでもやはり、2つあると便利とのこと.
帰途感じたことは年を取り病気になったら、スウェーデンから離れられないと言う事。
全ての手術は無償、医師に礼金も要らず、思い遣りのある医師に囲まれ癌との戦いも最終段階を迎え、今は来年の冬のスペイン行きを夢見るこの頃です。

2016年8月17日水曜日

入院








いよいよ手術の日が近ずき前日に入院。
さて、持参するものは洗面用具のみ、パジャマ、ガウン、カーディガン、下着(使い捨て)、タオルは支給されたものを使用。
シャワー室には着替えやタオルが積まれて自由にとり変え可能。
私の病棟は一人部屋と2人部屋。私から "個室を下さい" とは言えない。病院側で重病人や、難民で通訳が必要な病人等が個室を。
スウェーデンでは90年代迄は宿泊代もフリーであったが、今は個室から大部屋迄一律一泊100クローナ(1300円)を支払う。

サービスは満点、朝食はずらりと並ぶ数々のジュース類、ヨーグルト類、フルーツ、ハム、チーズ、コーンフレークスからパンやビスケットまで、、、
私の病棟は18部屋、その両端にはゆったりした談話室があり、歩ける患者はそこで食事、准看護婦が付ききりでサービスに当たる。
手術後4日、始めての食事は喉を通らない。
何時もなら大好物の夕飯もダメ❗
"キッシュはどう?,パンケーキは?"何とか私に食べさせようと必死な位。結局栄養ドリンクが支給された。

訪問者にもコーヒーや紅茶のサービスあり。

看護においても至れり尽くせり、医師が気軽に様子伺いに来てくれ、非常に心強い。

退院後1週間過ぎた日に医者が結果報告で電話をくれ、看護婦も
その後の健康状態について電話をくれた。

この2年間は病院通いが多くうんざりだったが、何処の病院も同じく医師が気軽に電話してくれるのは、患者への思いやり、その素晴らしさに感激❗

2016年7月31日日曜日

手術前の説明会


  
 



今年は体の調子が悪く手術することに。
手術の一週間前に説明会があるとかで主人と病院に出掛けた。
前もってこの対談は6時間かかるとの予告を受け "6時間など大げさに" と軽く受け止めていた。

ところが、まず看護婦との対談では、どの様に体を洗う事から始まり必需事項全て、次の医師との対談はどの様に手術を行うかを詳しく説明、途中で医師が東京に行った事ありで話は大分横道に逸れた。
その後はリハビリの先生との対談、昼食も支給され次は麻酔科医による説明、その後幾つかの検査をうけ結局6時間にわたる個人面接。付き添いの主人も不安が払拭され安堵感が。
何と至れり尽くせり、、、そして手術代は勿論無償。
スウェーデン万歳❗

2016年6月29日水曜日

スウェーデン式 夏至祭












毎年6月19日~26日の間の夏至に近い金曜日がお祭日。
洗礼者ヨハネの祝日で、各地の公園や広場に白樺の葉と野花を飾ったポールを立て、その回りで大人、子供達が踊り、フォークダンスグループもこの日は大活躍!
女性達は花で作った冠をかぶり、その冠を枕の下に置いて寝ると恋がかなえられるとか!
暗い長い冬が終わり美しい春、そしてやっと訪れた夏至祭、スウェーデン人にとってはハイライト、眠らず飲み明かすパーティがあちらこちらで、、、

夏至祭の食事は、特別なニシンの酢漬け(スウェーデン中がこの日に食べる)を新じゃがとサワークリームで、ここで欠かすことができないのがスナップス!(焼酎 ) このスナップスを歌や乾杯と共に一気に飲み干す。そしてスウェーデン産の苺を!
その後は各家庭様々、バーベキュウ、ビュッフェ等

そしてこれより毎日何分ずつか日が短くなる。
             

2016年6月3日金曜日

" どうぞ"  "どういたしまして" は同じ言葉








スウェーデン語で "どうぞ" は "ワッショグード" そして "どういたしまして" も又同じ "ワッショグード" 私はただ、何故同じなのかと別に質問もした事なく48年が過ぎ去ったが、塩野七生女史が、イタリア語でも "どうぞ" と "どういたしまして" が同じとか、ところが、さすが塩野七生女史、その解釈に感服、下記は彼女の文章を引用

"この言葉が素晴らしいと思うのは、自分がした親切に対する相手からの感謝をそのまま全部受け止めるのではなく、半分返すからでしょう。
人間関係は"ありがとう"と言ったときに、それでそのまま終わるものではない。"どういたしまして"と言って半分返す。
人間関係のとても素晴らしい面がこの言葉には表れているとおもうのです。"

スウェーデンに住んで48年目に素晴らしい解答が、、、塩野七生女史
ありがとうございました。

2016年5月16日月曜日

名前を呼び捨て







最近多くなった病院通いで、ある日、若い看護婦が60歳前後の医師を "ケント 今いいですか?"  日本で "一郎 今いいですか"と若い看護婦が医師に話しかけたら???
スウェーデンでは幼稚園児が先生を"エヴァ、イングリット"と呼び捨て、病院の待合室で呼ばれる時も同じ、"アンナ、マリア"と。

スウェーデンのホテルに滞在した日本の友人が、ある日受け取ったホテルからの手紙は、Hi Akio ! 彼は82歳、海外駐在が長いとはいえ、さぞかし戸惑ったのでは!
スウェーデン国内では当たり前のことでも、まさか国外にも名前を呼び捨てしているとは‼

下の写真は、私宛の医師からの検査の結果(Bästa kikuko はきくこ様
苗字は殆ど使わない)

2016年5月2日月曜日

人気陶芸家 リサ ラーソン














今年85歳になる人気陶芸家のリサ ラーソン展示会に友人達と出掛け、先ず驚いたのは展示会の概要がスウェーデン語、英語、日本語であった事。
彼女が、10年前から日本で陶芸家として人気があったとは、つゆ知らず、友人達に "知らなかったの? 13日間で約2億円の売り上げだったらしいわよ" には信じられなかったが、それが真実とは。

長年専属デザイナーとして、当事スウェーデン最大の陶芸製作会社グスタフベリ社で活躍したが、ロイヤリティは無く、自分の作品を欲しい場合は、他の従業員と同様払って買い入れたとか、、、
そこで彼女はフリーランスになり、ローゼンタールやスウェーデンの有名会社と仕事をした。
その間にグスタフベリ社は閉鎖され、92年に元同僚達とグスタフベリ陶器スタジオを設立し今日に至る。

10年前に日本で人気が出て、一時的と思っていたが人気は高まる一方、お陰でスタジオは職人達も仕事を失うことなく、日本に大感謝。

又、日本で作られ売られている彼女の商品は、" 質が良くて私も欲しいのよ "とか、、、

愛嬌のある動物コレクション、存在感のある人物像で世界中にファンが多い彼女は、高年でも製作に励んでいる、優しいおばちゃまです。


2016年4月20日水曜日

王子出産、翌日退院




プリンス カール フィリップと結婚したプリンセス ソフィアが男児出産、翌日には退院!
カジュアルな服装でカメラマン達の前に立った二人は、庶民的でいかにもスウェーデン!
プリンス カール フィリップはデザイナーとして、ナイフ、フォーク等々、又カメラマンとしても活躍、車好きでレースにも参加するほど。
王位継承権順位は第三位。

2016年4月12日火曜日

子供がカードで買い物









スウェーデン社会はもっぱらカードでの支払いが徹底している。
数年前迄はカードの所有は13歳以上だったが、現在は歳は関係なく親のサインで簡単にカードを獲得!

例えば9歳の子供が下校し両親は共稼ぎで留守、チョコレートが欲しいので近くのキオスクに、、、、
プールに友達と泳ぎに行くのにお金が必要、、、、等々。

親が子供のコントに1ヶ月分、又は一週間分のお小遣いを入れ、子供達はコントロールしながら決められた範囲で使用する。

銀行により異なるが殆どが無料サービス。
モダン社会‼です。

2016年4月7日木曜日

春は何処





今年も又、待てども待てども寒い毎日。
あちらこちらに咲き乱れるクロッカスが、寒いために長い期間美しい色を保っている。
スウェーデンに住んで情けなくなるのがこの時期、7ヶ月待ち望んだ春がなかなか来ないこと!

去年はやっと来た夏も寒い日が多く、トマトは赤くならずに9月になってしまった。
今年は、一体どの様な夏になるのかがスウェーデン人のもっぱらの話題。

2016年3月28日月曜日

スウェーデン国籍のアフガニスタン人ポリス








イスラム圏、北アフリカからの難民達の中に単独難民でやってくる子供達が混ざっている。
彼等は、道中親が死亡、混雑で迷子、又は親が子供の将来性を思い莫大な金額を払い人身密輸者に委ねたり等。

そして一部の単独難民はスウェーデンの単独難民収容所に手配される。何年もかかって到着する例もあり、彼等の道中は、暴力、中には強制的に最悪な状態の中で売春をさせられたりで、トラウマを抱えており、ケアーの人々を手こずらしている。

イスラム圏から全てがリベラルなスウェーデンでのカルチャーショックは並大抵の事ではない。

収容所での喧嘩沙汰は絶えず、ケアーの女性が殺害され大事件になった。グループで外出し軽装のスウェーデン女性に害を与えたり、公共のプールでビキニの女性に触れたり、、、、

そこで登場したのが、アフガニスタン出身の移民で、現在はれっきとしたポリス。
彼がアフガニスタンの単独難民収容所でスウェーデンのインフォメーションをダリ語(アフガニスタンの公用語の一つ)にて‼

銃規制、飲酒、麻薬、そしてスウェーデン政府は国民を管理していること、罪を犯すと登録されていて、就職の際会社は簡単に人名番号で調査が出来る事等、、、
男女同等であり、君達がプールにあるジャグジーに入っていて、ビキニの女性が入ってきたからと言って、触れてもよいと思わぬこと等、

このポリスによって目覚めたヤング達は、前を向く力が湧いたのでは!

2016年3月13日日曜日

白い村 ミハス







スウェーデンの冬を逃げてスペインの太陽海岸で過ごしています。
太陽不足のスウェーデンから全く何から何まで正反対のスペインは、来る度に良さが増し、もう既に、次回は何時此処にとプランを検討。

昨日はバス約1時間で行けるミハスと言う村に友人が移住したので訪ねてきた。海抜500メートルの真っ白な小さな村に着いて驚いたのは
日本人の観光客が非常に多いこと。

聞くところによると、村長が日本に行き、マラガに観光旅行の日本人客を、何とかミハスに呼び寄せる事を旅行会社に頼み込んだとか。
それがきっかけで、現在は多い日は10台のバスが、、、、
レストラン、土産品店は日本語の説明が付き、日本人割引までが。
この村の人々は日本人に多いに感謝しているとの事。
レストランで隣のテーブルのスペイン人が私に "フィリピンから?"
此処を訪れる日本人は、帽子を被り日光に当たらないよう注意していて、私の様に真っ黒に日焼けした顔は日本人ではないらしい‼

2016年3月1日火曜日

パルメ首相暗殺から30年









2016年2月28日はスウェーデンのカリスマ的リーダー、パルメ首相が暗殺されてから30年。
パルメ首相は夫人と映画を観て家に帰る途中、突然ある男がピストルを持って現れ首相を暗殺!
犯人は誰か?容疑者が何人か挙がったが逮捕にはつながらなかった。
目撃者であるパルメ夫人が、アルコール中毒と麻薬中毒者のクリステル ペテルソンを指名したが、夫人の証言の信憑性が疑われるとして、ペテルソンは釈放されてしまい、それ以後夫人は捜査から遠ざかった。(彼は2004年に脳溢血で死亡、一番下の写真)

パルメ首相は、国連人間環境会議での演説でベトナム戦争を "生態系破壊戦争" と厳しく糾弾し米国との激しいやりとりが始まった。
その上、ベトナム戦争反対デモにスウェーデン在住北ベトナム大使と腕を組みデモの先頭に立って行進したり、又、多くの米国の兵役拒否者、脱走兵を助けスウェーデンに引き取った事等から、より一層米国との溝は深まった。公に堂々と米国のベトナム戦争介入を首相が批判した例は西側諸国で初めて。

その他、南アフリカ、ユーゴスラビア、クルド、ソ連、イスラエル等が絡んでいるとか、真犯人と言われる人物は何人か浮上したが、未だに未解決‼

時効は通り越したがパルメ首相暗殺事件は、これからも延々と捜査が続く予定。