2012年12月22日土曜日

教会を売りに出す








スウェーデンの国教会は公的機関であり、国民は教会に税金を納めなければならなかったが、
95年に教会と国家の分離が決議され、2000年より実施された法によって国教会は公的機関でなくなり、義務としての教会税はなくなったが、国教会に籍を置き今までと同様に税金を払っている国民と、さっさと国教会から籍を抜き、”用もない教会などには一銭も払いません” の2組に別れた。この10年で約50万人が国教会から離れた。
その上、教会に出向く人が年々減り、教会の必要性がなくなり、壊すには勿体無いし売りに出される教会があるのです。(上の写真は既に住居として改築したものです。)

2012年12月21日金曜日

タバコ お酒は約70パーセントが税金





スウェーデンはアルコール類がべらぼうに高い。フェリーで到着する北ドイツにはスウェーデンからの買出しのお客で賑わっている。 EU 加盟後アルコール類を大量に持ち帰る事が出来、フェリー代をかけても安くつく。店にはスウェーデン語を話す店員もいれば、スウェーデンクローナで買うことが出来る。スウェーデンではタバコ、アルコールに掛かっている税金は何と70パーセント。
しかも、アルコール度が3,5%以上のアルコール類はアルコール専売公社でしか購入できない(土曜日は2時まで、日曜、祭日は休日)。その上、値段は全国一律。スウェーデン製のウオッカは外国の方がよっぽど安い。何時になったらワインをスーパーで買えることやら。

2012年12月17日月曜日

本場のクリスマス





あまり信仰心のないスウェーデンのクリスマスは、11月の中旬には街路やショウウインドーはクリスマス一色。日本と似ている。今年はスペインにいて11月の25日を過ぎても、街路にはイルミネイションの準備が出来ていても点火されず、商店のウインドウは素っ気無い。殆ど飾りは無し。 
少しがっかりしたのと同時に、これが本当のクリスマスかと思ったりした。アドヴェント サンデイ
(今年は12月2日)の前日にスペイン中がイルミネイションをやっと点けた。写真はマラガのオールドタウン。

2012年12月16日日曜日

スウェーデンの水は最高





暗くて寒い11月をスペインで過ごして帰ってきたスウェーデンの寒さは厳しい。約30度の差。暖かい南スペインに帰りたい。ところで、スペインで困ったのは料理にもコーヒーを沸かすのもスーパーで買った水でなければ駄目。我々の住んでいた町は、山に囲まれ湖もあちこちに。でも8リットルの壜を1週間に3本買い出しに行かねばならない不便さ。帰ってきて蛇口から直接飲める水の美味しい事。スウェーデンの水は最高です。

2012年12月4日火曜日

200メートルおきにあるスペインのオブジェ












寒い冬を逃げてきたスペインの見事なオブジェ。信号の代わりにヨーロッパでは交差点にサークルがあり、、右から入るようになっている。そのサークルが国によって色々趣向が違うが、このスペインのサークルにあるオブジェ。スウェーデンに、この様なオブジェを200メートルおきに設置したら、”税金の無駄使い”と大変な事になりそう。大げさではなく至る処にあり見とれてしまいます。

2012年11月23日金曜日

スペインの食事時間












暗いスウェーデンを離れ南スペインに来ていますが、食事の風習がスウェーデンとは違い、戸惑う事が多い。アパートを借りているので殆ど家で食事は作っていても、たまには本場のパエヤ、タパスを食べたくレストランへ。遅い食事のスペインなので8時半にでかけるが、まだ準備中。9時きっかりにオープン、入り口のバーを通り抜けてテーブルに。テーブルに席をとったのは我々のみ。バーはぎっしりと人が入り一杯飲んでいる。食事が食べ終わってもまだ、我々のみが、ぽつんとすわっているのみ。そのうちに二組がグラスをてにしたまま着席。10時半。一体どうなっているのでしょう。早く食べたい時は観光客が行くレストランに行かざるを得ない。外国に出て、まず避けたいのが観光客用のレストラン。でも、スペインでは普通の時間に食事をしたいときには無理は言っていられません。

2012年11月21日水曜日

結婚式の服装






70年代は多くの結婚式に招待された。まず義兄の結婚式。”何を着ていこう”戸惑っていた矢先、先方から”着物は着てこないでね”との事。勿論小規模な結婚式なので着物などは着ていくつもりはなかった。義姉になる彼女からの電話で私は一瞬驚いた。彼女は着物姿の私にゲスト達が注目してしまうのを恐れたと言う訳。それから何回となく出席した結婚式のゲスト達の服装は、日本とは大分掛け離れていた。当時は生地は木綿や化繊何でもよし、デザインに重点を置いている感じでした。勿論結婚式の規模によりけり、イブニングドレスの結婚式には絹のドレスも見られましたが、やはり、そこでもデザインが重点でした。スウェーデンの結婚式で避けなければならないのは、黒一色、白一色のドレス、そして花嫁より目立つ服装です。結婚式は夏が多いので明るいきれいな色が圧倒的に多いようです。

2012年11月15日木曜日

暗いスウェーデンから明るい南スペインに







11月のスウェーデンはつらい。一日中どんよりと暗く憂鬱な毎日。そこで定年族は冬の間を南スペインで過ごし、春にスウェーデンに帰ってくるというパターンが年々多くなっている。又、多くの定年族は何年後かには移住してしまう。南スペイン(太陽海岸)には約5万人のスウェーデン人が冬を避けてきている。特に身体障害者には最高。どの町も海岸線は素晴らしく広い歩道が何キロも出来ており、日光を浴びながら車椅子で。外国に移住する人々は、決して高額所得者とは限らず、ごく普通の人達が殆ど。生活費はスウェーデンの半分位で賄えるし、太陽は思う存分。特にゴルフ狂にとっても最高。冬はプレイが不可能なスウェーデンを離れ南国でゴルフ三昧。我々も移住はともかく、せめて冬を南国で過ごせたらと試しに一月ほどこの太陽海岸にやって来た。人々は親切、その上、全てにかけて安い。暖かく日中は暑いぐらい。参考までに32日間で50平米のモダンなアパートが4万5千円也。快適です。

2012年11月6日火曜日

スウェーデン人とローソク

















1966年に始めてスウェーデン入りした時に、まず着いた先は主人の家族の別荘。7月初め昼食の支度ができており、きれいなナフキンに野花、その上ローソクが3本点されていた。
当時の日本の家庭ではローソクは停電した時ぐらいしか使わなかったが、ここでは日中の食卓にローソクを。確かにダイニングルームは北に面していて少し薄暗い。天井からはかわいい電気がぶる下がっていたが、点けずに最後までローソクだけ。分からなかった。夕食の時も(夜7時は白夜でまだ明るい)又新しいローソクに、翌日の朝食もまたローソクで。私は ”よっぽどローソクが安いのか” と、思ったぐらい。何処に呼ばれても同じ事、コーヒーテーブルにもローソクが点され、
そのうちにローソクなしの食事などは考えられなくなった。特に暗い冬の北欧のインテリアとしてローソクは欠かす事が出来ません。


2012年11月2日金曜日

万聖節








11月の最初の土曜日にスウェーデンでは人々は教会、墓地を訪問し、ローソクを点けて亡き家族、友人の霊を弔う。カトリックの諸国では、11月1日が諸聖人の日、2日が死者の日で多くの行事があるようだが、ここスウェーデンは信仰心は薄く、一般人は墓地に飾りとローソクを点けに行くぐらいだったが、最近は万聖節に因んだコンサート等も多くなった。

2012年10月27日土曜日

84歳のイタリア人が作ったカルボナーラ




たまたま知った84歳の生粋のローマっ子が 「今日は僕がカルボナーラを作るよ」 との事。我々の大好物。パンチェッタがなくベーコンで、、、  ”フライパンでベーコンをオリーブオイルでかりかりに炒め、茹でたスパゲッティに混ぜ合わせる。そして、お皿に卵の黄身を置き、その上にベーコンを混ぜたスパゲッティを。あとはペコリーノ又はパルメザンチーズ、粗削りの黒コショウ、(塩)は、テーブルに置き、自分達で好きなように混ぜるのみ” いとも簡単、その上さっぱりしていて最高に美味しい。
炭焼人(カルボナーラ)の手に付いた炭が落ちたら、このようになるのではないかというので、黒コショウを混ぜる。

2012年10月25日木曜日

小鳥の餌








寒くなるとあちこちの家の庭に小鳥の餌箱が置かれる。我が家もピーナツを買い食卓の窓際においてある。朝はそのピーナツをとんとんと小鳥が砕く音で目が覚める。餌は、その他ひまわりの種が人気。我が家のお客様は小鳥が約15羽、大きいのは25cmぐらいのが夫婦でやってくる。
色々な小鳥を見ながらの食事は、暗い冬の楽しみのひとつです。

2012年10月15日月曜日

スウェーデンならでは





森と湖の国。何処を走っても湖 また 湖。快晴の朝コーヒーを沸かしサンドウィッチを作り湖畔で
朝食を。気温は10度、手が冷たくなるほど。でも、美しい景色と小鳥の囀りを聞きながらの朝食は最高に気分のいいものです。

プラストパパ (プラスティックパパ)とは!!






離婚率の多いスウェーデンで、母親が結婚した相手 ( 継父 ) をプラストパパ(プラスティックパパ)という。同じようにプラストママ(プラスティックママ)。子供達は1週間ごとに母親と父親の間を行ったり来たりの生活で、子供達も意外と割り切っている。このプラストパパの代表的なのが、お隣のノルウェーの皇太子が結婚した相手は未婚の母で、皇太子は彼女の子供のプラストパパという訳です。左側に立っている男の子が皇太子妃の連れ子です。”プラスティックは化学的に合成した物、本物ではない” ということから。

2012年10月4日木曜日

ユダヤ人の家族





80年代にユダヤ人の家族と親しくなった。始めて招待された時は何がテーブルに並ぶか興味があった。当時の私のユダヤ人についての知識は豚肉は禁止、特別な畜殺方法での肉類コーシェル位。ところが、禁止は他に肉類と乳製品、魚類と乳製品は一緒にしない。その為に食器類は全て別。鍋、フライパン、ナイフ類が別々に3種類ずつ。洗うのも分けて洗う。見せていただいたキッチンで驚いたのは、サイズの違う鍋、フライパンが山の様、開ける棚には皿類がお店のようにぎっしり、引き出しはナイフ、フォーク、スプーンで、その他の料理に必要道具も3っつずつ、肉用、魚用、乳製品、に分けられている。 『子山羊をその母の乳で煮てはならない』 との事から。この家族とは今でも頻繁にお付き合いをしています。

2012年9月28日金曜日

御茶漬けでよいのですが、、、、、





70年代には、日本スウェーデン協会がよく日本の使節団や、スポーツ選手団などを協会メンバーの家に招待した。我が家も入れ替わり立ち代り日本人が訪ねてきた。ホームステイ 又は食事に。食事はスウェーデン的なお料理で御もてなししても ”御茶漬けでよいのですが、もらえませんか?”  ”醤油ないですか?” 中にはローストビ-フを ”これ甘辛に煮て牛丼みたいにできないですかね” これは冗談と受け取ったが、御茶漬けとお醤油は本気らしかった。私は66年に始めてきた時のスウェーデンの食事が気に入り、90日間日本食を食べたい等思った事もなかった。ところが、日本人はたったの1週間の旅でも日本食が恋しいのでした。これが普通なのかも。その時は思いやりがなかったと悔やんだものでした。お茶はあっても古いし、ご飯はないし、混ぜるものもなし~~~~ それに食べた事もない。何かそれに代わるものは???何か日本的な食べ物がひょいと出てくるのを期待している日本人達を見ると、スウェーデン食を並べた事に後悔した。

2012年9月26日水曜日

知事の住宅とは ??・

















第二の都市ヨーテボリには珍しい3階建ての集合住宅がある。1800年代後半人口が増えだし市外に労働者用の集合住宅が必要となった。石での3階建ては高価、木造は火災予防を考え2階まで、その上不経済。そこで考え付いたのが、一階を石で、そして2階、3階を木造での案がでて、長い討議の末、当時の知事が建築許可を出した。それからこれらの住宅は ”知事の住宅” と 呼ばれるようになった。又、ヨーテボリ以外の町にもある。中にはナショナルロマンチック的な建物もあり 昔が偲ばれる。

2012年9月22日土曜日

スウェーデンのシナモンロール








スウェーデン人に欠かせないコーヒータイム。住み着いた頃は、11時と夜7時にシナモンロールにスポンジケーキそしてクッキーがセットで出され、私にとってはどれも甘すぎて苦しかった。ところが数年経つと自分で焼きだすようになり、美味しいと思うようにもなった。
特にスウェーデンのシナモンロールはカルダモンの香りが何ともいえない。ヨーテボリの旧市街のハーガにあるCafé Husarenに数年前より、とてつもないジャンボのシナモンロールがお目見えして話題を呼んでいる。

2012年9月16日日曜日

スウェーデン一の銀行の頭取は女性






アニカ ファルケングレンは1962年生まれ、43歳の時に(2005年)一番大きな銀行(SEB)の頭取に就任。2008年の年収は約3億2千万円(当時の換算)、その上大企業の理事として活躍。世界ビジネスウーマンのトップ10に入っている程。スウェーデンでは、出来るだけ大企業のボスに女性を置く政策に力をいれている。